メーカー技術者のブログ

技術者転職、めっき技術について

1社目での暗黒時代:後編

 

本日もお疲れさまです。

私は転職2回を経験した社会人8年目のめっき・表面処理技術者です。一貫してめっき関連の仕事をしております。

 

自身の1社目時代の後編です。

 

今回は配属後の話となります。

めっき製造現場のリアルついても描いていますので、これからめっきに携わる方などの参考になるかもしれません。

 

目次

1章    1社目での暗黒時代:前編

1社目での暗黒時代:前編 - メーカー技術者のブログ

2章    1社目での暗黒時代:後編

3章 所感

 

 

(4)配属してから

 さて本配属先はめっき工程。私のめっき技術者としてのスタートです。社内で3交替勤務を強いられる数少ない工程であり、最も過酷な工程と言われていました。上司からは「1年程度、研修として現場経験を積んでから実務的な仕事に取り組んでもらう」とのことでした。2週間経過し交替勤務が開始。ここから本格的な作業教育の始まりです。自動化が進んでいるとはいえ、複数ある数千L級のラインを動かさなければなりません。薬品補充は1袋20kgの毒劇物を何回も持ち上げての作業。溶解極板なんかでも計500kg分をホイストで運搬しながら補充作業。しかもラインの中に入っての作業で、“暑い”、“臭い”、“危険”。初めて夜勤を終え帰宅後は家の座椅子に座ってから3時間も身動きが取れませんでした。気力がない…現実の厳しさを感じなからも「あくまで研修。メインオペレーターのアシストをしながら学べることは習得したい。1年間耐えれば次のステップがある」。そう前向きに考えていました。

 

(5)苦悩

 ある日、上司から呼び出され、「来週から××ラインを1人で担当してもらう」と伝えられました。メインオペレーターが大人の事情で異動となったためです。「院卒総合職なのに研修でメインオペレーターとして経験させられるのか…」。1年間とはいえライン工として扱われる現実に衝撃を受けました。それから1週間で、装置起動、溶解極板補充、薬品補充、前処理液更新、製品運搬etc.、これらを徹底的に叩き込まれました。

しかし現実は想像を絶する厳しさでした。1週間だけで独り立ちなんてできるわけがなく、段取りが悪い、品質の判断ができない、機械トラブルなんて意味不明…。聞いても、「そんなこともできねえのか!」「ここは学校じゃない。教えてもらおうという時点でお前はクソ!」。昔ながらの現場のキレキャラといった感じで、パワハラモラハラなんて何が悪いといった様子。10秒に1回のチョコ停があっても保全責任者は「オレが壊したわけじゃないのに何で修理せなあかんのや!」と無責任に放置。ただでさえハードなのに故障多発で気力も体力も疲弊。本来、品質トラブル時は頭も使って対応したいところですが、作業に追われるだけで思考停止状態。こんな状態で一体何が得られるんだろう、、、そう思うようになりました。

 

(6)いよいよKO

 1年が経過しました。この間、あちこちラインをたらい回しにされながらの生産業務。状況は変わっていませんでした。1年前の上司の話とは異なる…このあたりから自分の置かれてる状況がおかしいと感じるようになりました。別の部署(工程)の製造配属になった同期も最初は現場研修ですが、それを終えて実務的な仕事を始めていました。「え!まだ現場でやってるの!?」「メインオペレーターをやってるの!?こっちはたまに製造スタッフの補助をしたくらいだったけど」などと言われます。大学時代の友人と集まって話をした時も、製造配属は皆無、ましてやライン工なんていません。みんな愚痴をこぼしながらも、なんだか充実して見えました。この時期から“転職”の2文字が頭をよぎるようになりました。

 2年が経過。相変わらずラインで生産です。3年目にもなれば、さすがに状況は変わるばす、そんな淡い期待で何とかやってました。

この頃から課長が絡んできて仕事を振ってくるようになりました。ただでさえ生産でいっぱい、残業も一切認められない中で二足のわらじを履けるわけがありません。そしてこの課長はいわゆるサイコパス。進捗確認をされては机を叩くなり人前で大声で激しく叱責。人格否定も当たり前。

人事にも置かれてる状況や当初の希望とは乖離があることを相談しましたが、「育成、研修方針については各職場に任せてるから」「上司の方針に従わないのは会社命令違反」「会社あってこそのあなた。最近の若い奴らはすぐに希望云々を口にする」とばっさり。真摯に向き合ってもらえませんでした。

 製造をしなくてはならないプレッシャーと置かれてる状況への不信感、加えて課長からのパワハラモラハラ

この頃から心療内科にも相談していましたが、とうとう会社に行くことができなくなりました。

 

(7)考えが変わるきっかけとなった休暇

 1ヶ月ほど休暇しました。最初は外に出ることすらできず布団の中で泣いていました。しかし2週間くらいすると少しずつ気持ちが落ち着き、外に出られるようになりました。なんとなく本屋に行ってみると、いろんな小説や著名人の価値観、人生に関する内容を記した書籍を目にしました。それらに目を通すと自分がいかに狭い世界で生きていたかに気付きました。それまでは目の前のことで必死で自分の人生や仕事について考える余裕なんてありませんでした。しかし、この期間で自分のキャリアについて冷静に見つめ直すことができたと思います。そういった意味でこの期間は貴重な体験となりました。

 そして復帰。この時すでに転職を決心していました。①やりたい仕事②勤務地③人間関係、この3つ全てが最悪だった(②については①が叶うならばということで目をつぶったが)時点で、もうこの会社に我慢して残る理由はありません。会社は安定しており、辞めるのはもったいないと周りから思われるかもしれません。でも、人生1度きり。将来、後悔しないようにせめて若いうちはやりたいことを追い求めよう、そう考えるようになりました。自分の考えが変わった時でした。

 

(8)転職

 転職活動ではめっき関連の仕事を探していました。これだけ辛い思いをしましたが、不思議にもめっき技術そのものは嫌いではなかったのです。添加剤や成分濃度を調整しながら品質を回復できた時は達成感がありました。条件を振ってめっき外観が変わる様子も勉強になりました。困りごとの解決や品質安定のために必要なツール・理屈をしっかり習得できる環境で働きたいと考えていました。そうすることでめっきの面白みを感じることができ、専門性の高い技術者になれる、そう考えました。そして転職活動の結果、めっき薬品メーカーより内定をいただいたのでした。

 最終出社日。お世話になった現場スタッフから一言。

「お前、目が輝いとるな!」

 

 

最終章へつづく

https://one2204.hatenablog.com/entry/2020/10/11/181100